ポール・マッカートニーはロック史上最高のソングライター、20世紀最高の
作曲家、そして元ビートルズ。
ポール・マッカートニーはポップ・ソングの達人である。シンプルなポップ・ソングを最も得意としており、
ポールのヒット曲はすべてポップ・ソングかポップ・バラードである。キャッチーなメロディを作りだすことに
関してはポールの右に出るものはいない。実験的な音や新たな音楽は苦手であり、音楽性を変えることはほぼない。
歌詞もシンプルであり、自身が経験した恋愛を扱った歌詞や人生を前向きに考える歌詞が
ほとんどである。自分で作った音楽でここまでのセールスを上げたアーティストはポールを除けば
マイケル・ジャクソンぐらいだ。
ポール・マッカートニーは1942年6月18日、リヴァプール生まれ。労働者階級の温かい家庭で生まれ、 音楽好きの父の影響で小さいときから音楽に嗜む。 チャック・ベリーやエルヴィス・プレスリーに影響され、ロックに目覚め、 バディ・ホリーの影響で後に自作曲を作るようになる。 14歳で母親を亡くし傷 を負うが、同じく母のいないジョン・レノンとの絆を生むことになる。 ジョンの誘いでビートルズの前身バンド”クオリーメン”に加入し、その後 ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターと出会い、歴史が始まっていった。 ビートルズ解散後、ポールはソロ、妻のリンダやウイングスとの活動を行い、 ビートルズ時代ほどではないが世界規模で活躍した。 そして、現在も彼は音楽を創造しつづけている。
ポール・マッカートニーはビートルズ脱退直後にソロをスタートさせた。
70年、アルバム"マッカートニー"をリリース。 ビートルズのアルバム"レット・イット・ビー"に 販売日をぶつけたファースト・アルバム。妻のリンダにサポートされながら ほぼ一人で製作した。ほとんどのファンはがっかりし、批評家からはラフ過ぎる と批判された。だが、 ビートルズ解散というニュースで話題となっていたためこのアルバム は好セールスを記録した。ビートルズ時代のポップ・センスは発揮されていないが、 1人で作りあげたにしては完成度が高い。妻のリンダの芸術性も発揮されている。
71年、 ポール・マッカートニーはリンダ・マッカートニーと共に アルバム"ラム"をリリース。ジョンがヨーコと連盟したように ポールもリンダと連盟した。このアルバムでは、 ポールらしいメドレーやポップ・ソングが楽しめる。 動物が映し出されたジャケットも環境保護活動家のマッカートニー夫妻らしい。 このアルバムはポップでポールらしい傑作だが、この当時ポールの勝手な行動に対するビートルズの他メンバーや メディアのバッシングがあったため、正しく評価されなかった。

ポール・マッカートニーはリンダ、デニー・レインとともに71年ウイングスを 結成。
71年、ウイングスはアルバム"ワイルド・ライフ"をリリース。 このアルバムは多くの人間に批判され、セールス的にも失敗に終わった。
73年、 名をポール・マッカートニー&ウイングスと変更し、 アルバム"レッド・ローズ・スピードウェイ"をリリース。 シングル"マイ・ラヴ"がヒットした。 そしてこの年の末、ポール・マッカートニー&ウイングス はアルバム"バンド・オン・ザ・ラン"をリリース。 ビートルズ解散後、ポールの良さが最も現れた作品となった。 シングル"バンド・オン・ザ・ラン"もヒットした。この曲の 構成は見事で、最初スロー最後カントリーとなっている。
75年、 名をウイングスに戻し、アルバム"ヴィーナス・アンド・マース" をリリース。ポールはウイングスが自身のソロ・プロジェクトではないことを主張。 ポール以外のメンバーがボーカルを録るなど、他のメンバーも ウイングスの一員として目立っている。 収録曲の"あの娘におせっかい"は名ポップ・ソング。 この頃に日本で来日ツアーを行おうとしたが、ポールとリンダの ドラッグ問題が理由に入国拒否された。
76年、 また、名をポール・マッカートニー&ウイングスに変更し、 アルバム"スピード・オブ・サウンド"をリリース。 メンバー全員がボーカルをとり、バンドとして一体感が 前作と同じくでている。 ライヴ・パフォーマンスも 好評で、この頃がウイングスの全盛期と言われている。 また、この年に ライヴ・アルバム"ウイングス・U.S.A.ライヴ!!"をリリースした。
77年、
当時はロンドン・パンク・ムーブメント真っ最中でポールとリンダもパンクに
興味を持ち、マッカートニー夫妻は
セックス・ピストルズのジョニー・ロットンに
「一緒に曲を作ろう」と話を持ち出したがロットンに断られてしまう。
また、クラッシュを始めパンク・バンドから攻撃され、ミック・ジャガーら
と共にパンク好きの若者たちからバッシングを受ける。
しかし、その流れに逆らうように
シングル"夢の旅人"リリース。
この曲はアコースティックでシンプルなバラードであり、
空前絶後の大ヒットを記録した。
78年、 またもや名をウイングスに変更し、アルバム"ロンドン・タウン"をリリース。 名前通りイギリス的な作品となった。 英国男らしいポール・マッカートニーだからこそ作れた名アルバムだ。
79年、 ウイングスはラスト・アルバムとなる"バック・トゥ・ジ・エッグ" をリリース。このアルバムには、ビートルズのホワイト・アルバムを プロデュースしたクリス・トーマスを起用した。 クリス・トーマスは片耳に難聴障害が あるが天才的なプロデューサーだ。しかし、このアルバムはセールス的に 振るわなかった。
80年、 ポール・マッカートニー率いるウイングスは来日するが、大麻を持ち込んで 逮捕される。ポール11日間の拘留後、釈放されイギリスに送還された。 そして81年にレインが脱退し、ウイングスは解散した。

80年のウイングス解散時期からポール・マッカートニーはソロ活動を 10年ぶりに開始。80年、アルバム"マッカートニーⅡ"をリリースした。 シンセサイザーを導入したり、テクノ・ポップの影響をうけたサウンドを 展開した。
82年、アルバム"タッグ・オブ・ウォー"を リリース。ジョージ・マーティンをプロデューサーに迎え、 ポールにしては珍しく社会問題などを意識したアルバム。 "エボニー・アンド・アイボリー"では白人と黒人の協調を訴えた。 スティービー・ワンダーなどゲストも豪華だ。
83年、アルバム"パイプス・オブ・ピース" をリリース。前作の続編的な作品となった。 "セイ・セイ・セイ"ではマイケル・ジャクソンと共演し話題となった。
86年、はアルバム"プレス・トゥ・プレイ"を リリース。10ccのエリック・スチュアートと8曲もいっしょに 作ったがセールスが振るわず失敗となった。
88年、アルバム"バック・イン・ザ・U.S.S.R." をリリース。このアルバムはソ連のみでリリースされた 古きロックのカヴァー・ アルバムだ。
89年、アルバム"フラワーズ・イン・ザ・ダート" をリリース。ポールが1年半かけて自宅のスタジオで作り上げたアルバム。 エルヴィス・コステロと4曲共作した。全体的に豪華な作品であり、 ポールのポップ・センスもかなり効いている。
91年、アルバム"公式海賊版"をリリース。 このアルバムはポールがMTVの人気番組”アンプラグド”に出演した ものを収録した作品。
93年、アルバム"オフ・ザ・グラウンド"をリリース。 動物と友達のポールが動物愛護などに触れた歌詞が印象的。
97年、アルバム"フレイミング・パイ"をリリース。 ポールとしは珍しく全体的に暗い作品。ただし、ポールらしいポップ・ソングは もちろん収録している。 また、このアルバムではリンゴ・スターと共演した。
98年、 長年連れ添った人生最大のパートナー、リンダ・マッカートニーが亡くなる。
99年、アルバム"ラン・デヴィル・ラン"をリリース。 このアルバムは50年代のロック・ソング・カヴァーが中心。 プロデュースはクリス・トーマス。デイヴ・ギルモアやイアン・ペイスも 参加。
01年、アルバム"ドライヴィング・レイン"を リリース。ポールの再出発作。それほど明るい作品ではないが、 ポール独自のユーモアなどを垣間見ることができる。サウンドは相変わらず シンプル。
05年、アルバム"ケイオス・アンド・クリエイション ・イン・ザ・バック~裏庭の混沌と創造"をリリース。 作品としては地味であり、悲しい雰囲気と綺麗なメロディを特徴。
07年、アルバム"追憶の彼方に~メモリー・ オールモスト・フル"をリリース。ただシンプルに美しいメロディを求めている。 残念ながらこのアルバムよりもヘザー・ミルズとの離婚問題が 話題となってしまった。